この世界の(さらにいくつもの)片隅に

町山智浩さん&片渕須直監督 映画公開記念トークショー全文

町山智浩さん&片渕須直監督 映画公開記念トークショー全文

1月11日(土)テアトル新宿で実施された、町山智浩さん(映画評論家)と片渕須直監督の『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』公開記念トークショー。
ディテールの考察から新しい発見と驚きが満載のトークの模様+楽屋での会話を≪全文書き起こし≫にて大公開!ぜひご覧ください。

司会- ではお掛けいただきまして、町山さん、よろしくお願いいたします。

町山:よろしくお願いします。

片渕:よろしくお願いいたします。

町山:この前にお話をお伺いしたときは、東京国際映画祭で上映するバージョンを見た後だったんですけど。

片渕:はい。特別先行版って言ってたんですけど、今ご覧いただいたやつの、5分ちょっと短かったんではないかなと思います。

町山:はい。この間、見たのから新しくかなり増えてるんですけど、その辺の話からお伺いしてよろしいですか。

片渕:はい。

町山:台風ですよね、やっぱり。

片渕:台風ですね。台風は、そういう意味でいうと、やっぱり、かなり作画するのにすごくエネルギーがかかったところでもあるんですけど、実はあれはもちろん原作にもあった、昭和20年9月17日の枕崎台風が描かれてるわけなんですけども、それと同時に、去年、一昨年って、実は日本、結構、台風とか風水害が盛んで。盛んっていうか、大変なことになっていて、特に呉なんかも、一昨年は交通が遮断されて、皆さん大変困られた。

町山:広島すごいですね。最近、被害が何年も、過去。

片渕:そうですね。原作でも、あの台風を最後に、やはり台風のエネルギーを、こうのさんはそのときに、戦争のイメージを消し去るものとして、で、みんなでそれで台風の去った空に向かって高らかに笑うっていうことで、戦争が過ぎたんだなっていうことをそこで語っておられたんですね。
でもちょっとそのままだと、やっぱり台風とか大雨とかでわれわれが、あるいは特に広島とか呉の方々が大変になってたときに、こうのさんのやってらっしゃったこともすごくよく分かるし、そのままだけではちょっと語れないなと思ったんですね。
そのときにこうのさんが、あそこでたまたま配達されていた葉書が、すみちゃん、すずさんの目から見たら、行方不明になってたすみちゃんからのはがきだったってことだったんで、それをむしろ救いとするようなふうに描けばよいのではないかなと思ったんですね。

町山:やっぱりここ何年かは、日本だけじゃなくて、世界中で台風がすごい被害を・・・。

片渕:なんかいろんな所で異常気象みたいな。

町山:はい。それで、全然関係ないんですが、かなとこ雲が出てきて。

片渕:途中でですね。

町山:途中で。去年、僕は『天気の子』見て、かなとこ雲が舞台なんですよね、クライマックスが。

片渕:そうですね。

町山:で、あっと思ってたんですけど、あれも台風の話というか、水害の話で、この間『パラサイト』があって、なんかすごく不思議なリンクを感じているんですけども。
あとリンクというと、すずさんの話で、リンさんの話で、最後、2人の並んでるとこで、リンドウが出ているんですけども。

片渕:そうですね。

町山:鈴って『りん』とも読みますよね。

片渕:そうですよね。だからあの2人は、非常に裏表であったり、あるいは、ひょっとしたら重なる存在だったりするのかなというふうにも思えないことはなくて。

町山:たまたまそういうふうに生まれてしまったんだけれどもみたいな。で、非常に似てるところがあってみたいな。例えばリンさんが木を登っていくところで、この人は実はそういう人なんだっていうとこが一瞬分かるんですよね、屋根裏にいたりした感じ。

片渕:そうですよね。座敷わらしが天井裏から下りてきたときの。

町山:そう。そこもすごいなと思って。それで、あれは偶然、リンとすずなんですかね、それとも最初から計算されてたんですかね。

片渕:これはだから本当に、こうのさんに聞いてみるしかないんですけど、ただあんまり直接聞くと、僕もちょっと手を抜いたことになるので、本当にいろいろ考えてみてるんですけど、リンさんっていうのは、実はこうのさんの他の漫画でも出ている名前で、特に商業誌のデビュー作になったものとかに、リンさんとして出ていて、割と昔からこうのさんの中にある・・・。

町山:いるキャラクターだった。

片渕:そうなんですね。それからすずさんっていうのが、こうのさんが飼ってたセキセイインコの名前が「すずしろ」って名前だったんですよ。そのインコがいなくなっちゃったちょっと後に、『この世界の片隅に』確か書き始められてたと思ったんで、なんかそういうことなのかなと思いつつも、でもこうのさんは、円太郎、径子、周作って、全部、円に関する。

町山:円周率の周。

片渕:そうですね、円周率。ですから直径とかっていうので、北條家の人たちの名前をくくってたりするんで、どれぐらい計算されてるのか、どういうふうに考えてるのか、は本当に分からないところがあるんですよ。

町山:なんかすごく理系な考え方がよく出てきて、全部元素の名前だったり。

片渕:こうのさんは高校のとき、科学部だったんです。

町山:だからなんですね。

片渕:面白いですね。

町山:あとすごくメカニックに関する知識は、どこから彼女は得たんですかね。

片渕:そこは躊躇しないで、戦艦大和とか、それから機銃掃射してくるアメリカの戦闘機とかも、こうのさんは原作でも既に書かれてたんですね。でも僕も映画にするときに描いてみて思ったんですけど、ああいうものも、すずさんを取り巻く世界の一部なんだとしたら、それはやっぱり躊躇なく描くんではないかなと。
特にすずさんの周りだから、例えば家事だけをやってるとかそういうことではなくて、その家事をやってるすずさんの前に、戦艦が浮かんだりとか、飛行機が飛んできたりするんだったら、それはやはりその世界の一部として、こうのさんも捉えられてたんじゃないかなっていう気がするんですね。
ただやっぱり女性の作家さんでありながら、戦艦大和が夫婦でいる周作とすずさんの前に入港してくる場面とかを描かれていて、そこに世界そのものを丸ごと引き受けてるっていうか、そういうのを感じたもんですから、僕らとしても、映画にするときには、そういうのも含めて一生懸命描こうと。全部をそこに存在するものとして描こうというふうに思ったんですね。

町山:メカニックの話だと、今回加わってる、お父さんが働いてる工場でエンジンを造っているっていうシーンですけれども、あれは原作にはないんですか?

片渕:原作には、あの直接の表現はないんですけど、やはり同じ昭和20年の5月の場面で、原作の漫画では、あのお父さんがどのようにして仕事をしてきたか、生まれたところから始まって、それから仕事をしてきて、どんなふうに今の家庭を築いたかみたいな経歴が書かれてるページがあって、そこには仕事をする中で、彼は広工廠とか第11航空廠という所で働いてたのだということもはっきり書かれていて、第11航空廠の発動機部にいたっていうところまでちゃんと書かれていて、なおかつそこで、その第11航空廠っていうもので造った飛行機とか、広工廠で造った飛行艇とか、そういうものがちゃんと絵で描かれてたんですね。
要するに、そうするとどういうような経歴で、どういう仕事をしてる人なのかも何となく分かってきたもんですから、それで当時、第11航空廠の発動機部で、どんな製品を造ってたのかなっていうのを調べたら・・・。

町山:調べたんですね(笑)

片渕:調べたら、たまたまその第11航空廠の生産してたものとして、こうのさんが紫電っていう飛行機描いていて、紫電っていうか、紫電改なんですけど。

町山:紫電改ですね。

片渕:紫電の、当時造ってたのは紫電改っていうタイプだったっていうことですけど、それのエンジンを第11航空廠で造っていたということが、こちらの独自の調べで分かってきたわけなんですよね。
それと円太郎さんという人は、原作の漫画の中でも、時々徹夜仕事して、朝になって帰ってくる場面が結構あったりして。するとどういう作業をしてるのか分かんないけど、エンジンを造る中で、最後徹夜になってしまうような場面って何なんだろうなと思って。一番最後に出来上がったエンジンの試運転をするところだったらどうかなと思って。あのエンジンは実はすごく本当に歩留まり悪くて、不良品がいっぱい出るようなエンジンだったもんですから。

町山:だからバックファイヤーみたいな形で。

片渕:そうなんですね。

町山:それは実戦には投入されなかったんですか。

片渕:されました。だから途中の、もうちょっと前の3月19日のシーンで、頭の上を飛んでいたりするのが・・・。

町山:ドッグファイトするところですか。

片渕:そうですね。あのエンジンを積んだ飛行機なんですけど。

町山:あれが紫電改。

片渕:紫電改だったりしますけど。

町山:『ガンダム』好きな人は、カイ・シデンっていうのは紫電改から来てますからね。

(会場、笑)

片渕:そうですね(笑)

町山:紫電という戦闘機がありまして、その翼の位置とかを変えて、改造型が紫電改なんですけど、ほとんど違う戦闘機。

片渕:そうですね。でも、ちばてつやさんの『紫電改のタカ』とかというマンガが。

町山:(会場に向けて)『紫電改のタカ』というマンガがありました、昔。

片渕:そういうマンガの中の存在かなみたいに思ってたら、すずさんがあそこにいたら、本当に頭の上を飛んでるようなものだったわけですね。それからお父さんがそれのエンジン造ってたんだなと思うと・・・。

町山:誉ですね。

片渕:誉というエンジンですけど、なんか急にそういう意味での存在感っていうか、それが自分の中で感じられるようになりましたね。

町山:あれかなりちっちゃなエンジンで、2000馬力・・・。

片渕:2000馬力。

町山:に達しようとしたんで、高回転にしたんですよね、すごく。

片渕:そうですね。なので、非常にバランスを崩しやすいということですね。

町山:ハイオクかなんか使う。

片渕:ハイオクを本来使わなければいけないんですけど、その燃料がなくて、実はそのハイオクにするための燃料の添加剤を作ろうとしたのが、『マイマイ新子と千年の魔法』っていう映画を前に作ったんですけど、それで貴伊子ちゃんっていう女の子が、埋め立て地の工場の社宅に住んでるんですけど、その工場が実は戦争中に誉のためのハイオクの添加剤を作ってた。

町山:そうなんですか!

(会場からも驚きの声)

片渕:すごいなんか変な縁、というよりは、調べてったら、世の中のことってみんな芋づるにつながってるんだなって。本当に世界は一つなんだっていうのが、そんなところから分かってきてしまって。

町山:じゃあ前作が完成した後で、リサーチで新しく判明した事実なんかも、ここに出てきてるんですか。

片渕:そうなんですね。実はエンジンの試運転をやってるような場所っていうのが、どんな建物なのかなっていうのは、当時の公文書みたいなの書いてあるものに図が載ってたりもしたんですけど、僕がいつも仕事場に行き帰りする途中の田無っていう町にも、実はあれが最近まで1棟残っていたんですね、エンジンを試運転する。

町山:そうなんですか!

片渕:いつでも見に行けるなと思っているうちに、取り壊されてなくなってしまったんですね。

町山:そうなんですか。

片渕:だからああいうものって・・・。

町山:中島じゃなくて。

片渕:中島飛行機のエンジンの試運転場の建物が1棟だけ残ってて、食品工場かなんかに使われてたんですけど。

町山:その棟が。

片渕:そうなんです。

町山:そうなんですか。

片渕:で、新しい、『(さらにいくつもの)片隅に』を作るときに見に行こうと思っていたら、その間に取り壊されてなくなってたんですね。今、更地になってました。

町山:そうなんですか。

片渕:でもそういうように、ついこの間まで試運転はしてないんですけど、試運転工場みたいなのが、戦争中のものって割とすぐ身近にあったんだなっていうのがね。だからすずさんたちの時代と、自分たちの時代って、なんかどっかで今までずっとつながってきてたんだけど、ここへ来ていろんなものが消えていくような気がしてて。

町山:実は僕、バークレーっていう所に住んでるんですけども、アメリカのカリフォルニアのアルバニーという町なんですね。そこって海辺の所に金属の残骸がずっとあるんですよ。それ第2次世界大戦中の造船所でしたよ。そこで軍艦を造っていたんですけど、今もいろんな残骸が残ってるんですけど、放っといてあるんですよ。アメリカはほとんど放っとくんで。でも日本でも、僕、子どもの頃よく皇居の近くで遊んでて、近衛師団の本部がその頃は廃虚だったんですよね。だからよくそういうことはありましたけど。
今回、江波に戻るシーンで、江波の自宅がゆがんでいますけど、あれは爆風があそこまで届いたってことですか。

片渕:あそこまで届いたみたいです。それから江波は実は、いわゆるキノコ雲が立ったときに、キノコ雲の根元のちょっと外なんです。つまり直接バーンッてなった煙とかが襲ってきてはいないんですけど、江波の普通の民家でも、随分、屋根とかゆがんでるものの当時の写真見ましたし、それから江波山のてっぺんには気象台があったんですけど、気象台のガラスが吹き飛んで、今でも壁にガラス片が刺さってたりしてるのが残ってたりします。

町山:そうですか。今回、あと知多さんのシーンがすごく引っ張る形で描かれていて、皆さんは知ってる人が多いと思うんですけど、放射能の障害を受けていると。

片渕:そうですね。

町山:すぐに爆心地に行ったために、多くの人たちが放射能の障害を受けたわけですよね。

片渕:そうですね。もともとはこうの史代さんが、前に『夕凪の街 桜の国』というマンガ描かれて、それは広島の被爆した人の戦後の歴史だったわけなんですね。戦争中のことを描いてないので、今度は戦争中のマンガを描こうと思って、『この世界の片隅に』を描かれたと。
ただ今度は原爆の関係のない、こうのさんのおばあさんが住んでらっしゃった呉とかの町が好きなんで、呉を舞台にしようと思って描き始めたら、結局、呉の町の人たちが、昭和20年8月6日の広島の原爆の翌日、翌々日ぐらいに広島へ救援に行って、それで、広島市に入って被爆するので入市被爆っていうんですけど、それで随分、体調を崩されたりとかされたことがあって、さっきも言いましたけど、結局、世界とつながってて、広島からちょっと離れた所の物語を描いたつもりでも、やっぱりそこにつながってたんだなっていうことだったりするんですね。
でも入市被爆っていうのは、本当に呉のいろんな本とかを読んでも、結構出てきますね。映画作るときに、なんでそんな本を買ってしまったのか分かんないんですけど、『呉市歯科医師会史』っていう。

町山:へっ!?

片渕:古本屋さんで『呉』って書いてあるやつはみんな・・・。

町山:歯科医の、歯の?

片渕:まちがい。『呉市医師会史』。医師会。

町山:医師会史!

片渕:そうですね。とにかく資料になるもの、何でもいいから呉のことを理解しようと思って、『呉』って書いてある題名の古本をみんな買ってたら、さすがに医師会は関係ないかなと思ってたら、やっぱりその中に、原爆の直後に救援に行って、入市被爆になったことが、特に医療関係者とかではたくさんあったって書かれてたんですね。
で、知多さんというのは、途中でも言ってるけど、もとは看護婦さんだったってことなんで、看護婦さんってある種の資格なので、もし引退しても、そういうことになったら呼び出されることもあるし、自分でそういう使命感を持ってしまうこともあるのかもしれないんですけど、そういう立場の方だったんだなというのを、改めて思うようなことですね。

町山:やはり放射性物質が肺とかに入ると、その後もずっと後遺症になるということでしょうね、やっぱり。

片渕:そうですね。それで、当時のものとか読むと、原爆ぶらぶら病って・・・。

町山:意味もなく疲れて、倦怠感があってっていわれてましたね、当時。

片渕:倦怠感があって、体が動きにくくなってっていうので、原爆だらだら病っていわれてたっていうんですけど、それはつまり、そういう状態になることが理解できない人が、「何だあいつ、ぶらぶらしやがって」っていうふうに言ったんで、ある種の差別的な表現のようなんですけど、ただそういう状態になるんだなっていうのは、僕も当時のものを見て思っていたので。 本当はこれ、30分延長のはずが、38分の延長版になってるんですけど、前回に比べて。その中の一部は、知多さんが、自分が思ってるよりも遅く歩いたからなんですね。あれもともとは、あの半分のカット尺だったんですね。

町山:そうなんですか・・!

(会場からも驚きの声)

片渕:あるいは倍のスピードで歩いてたんですよ。でもそういうふうだと、あの知多さんの置かれてる状況がよく分からないような気がして、どれぐらいまでゆっくり歩いてもらうと、知多さんが、自分がそういう体が動かない状態になってるんだって示してくれるのかなと思って、1歩51コマなんですよ。48コマで2秒です。普通、人間歩くときって、例えばマーチに乗って歩くときって、1歩0.5秒なんですね。1歩12コマです。だからそれの4倍以上のスピードで、あるいはゆっくりさで歩いてる。
でもそうすることで、知多さんは体が本当にだるいっていうのを通り越して、もう動かないんだっていうのが、どれぐらいだったら知多さんはそれを示してくれるんだろうなと思ったら、それぐらいだったんですよね。

町山:今回『(いくつもの)片隅に』という形で、前は完全にすずさんに焦点を置いてたところを、そうじゃない人たちにも焦点を当ててっていますけれども、エンディングで、ちょっと僕、不注意だったんで、一瞬なんで、ちょっと間違ってるかもしれないんですけど、脚にけがをした義足の老人と子どもが映るところあるんですけど、あれは。

片渕:あれは周作のお姉さんの径子さんには、実は2人子どもがいて、1人は本家に置いてきてしまった、長男の久夫っていうのがいまして。

町山:ひーちゃん。

片渕:ひーちゃん、ひー坊とか言ってましたね、周作が。

町山:はい。ひー坊。

片渕:その子なんですね。下関に疎開していって、別れ別れになっちゃったんですけど。あの片足の人は、原作のマンガ読むと、日清戦争の従軍傷だから、日清戦争で負傷したことになってて、初めは、下関の側の黒村っていう家ですけど、そのおじいさんかなと思ったんですね。それはしょうがないので、原作のこうのさんに聞いてみたら・・・。

町山:やっぱり説明がないから、聞くしかなかったんですね(笑)

片渕:一生懸命考えて、おじいさんかなと思ってたんで、合ってるかなと思ったら、違うんだと。あれは久夫が疎開した先で出会った、全然、知らないおじいさんに鍛えられてるところなんだと。

町山:鍛えられてるんですか。

片渕:おので。『空手キッド』みたいな状況(笑)

町山:『酔拳』みたいな。全然分からないですね。

片渕:分からないんですけど、でもそうなんだなっていうことがもし分かったら、久夫君はその先たくましく生きていて、恐らくもっと年月がたてば、径子さんの前に現れるんだろうなっていうことが、自分ではなんか想像できるようになったんですね。
彼はおじいちゃんっ子になって、向こう側の家に住み着いたんじゃなくて、縁もゆかりもない人を師匠にして、ある種、体を鍛えるっていうよりは、生きる道を鍛えてるんだっていうことなんですよね。
だから彼はきっと、そういうひとかどの青年になって、きっと径子さんにもう一度会いに来るんだろうなっていうようなことが、それで教えてもらって理解できたような気がするんですよね。
それは本当にこうのさんももちろん説明してなかったことなんで、誰に理解しろっていっても難しい話だとは思うんですけども、でも僕が聞いた話だと、そういうことなんだと思って。

司会- 町山さん、あと5分です。

町山:じゃあもう一回。それぞれの片隅があるという感じなんですけれども、水原哲は、あそこで水原に会ったときに声掛けないんですよね、すずさんは。

片渕:そうですね。青葉の前で。

町山:青葉の前で。それはどういうふうに解釈されてますか。

片渕:やっぱり水原哲は水原哲で、これからやっぱり自分の人生を生きていってほしいという、すずさんの思いなんだなとは思いました。

町山:私にいつまでもこだわらないでっていうことですかね。

片渕:そうですね。で、恐らくもっとずっとずっと先の2人はまた再会して、普通に会話するかもしれないんだけど、あの時点では、何よりも水原哲が生きていたこと自体が、すごくすずさんにとっては大事なことで、そっから先は、やっぱり生きていた人たちは、自分自身の人生を見つけていくしかないんだな。特にすずさんは、自分の人生についてずっと思っていましたから、ここで自分のものを築いていこうと思ってる最中だったんではないかなと思うんですね。

町山:水原は戦争に死を求めていたわけですけど、ある意味、でも死に損なったじゃないですか、勇敢に戦う機会を逸して。あの後どうなると思います、戦後。

片渕:戦後ですか。でも本当に日本中にはああいう方たくさんいたわけですよね。

町山:はい。

片渕:今、僕は大学で教えてるんですけど、僕が教えてる1人、学生なんですけどもお坊さんなんですよ。頭丸めてて、今、修行もやりながら映像のことをやっているっていう。おじいさんもお坊さんだったんだけど、おじいさん、戦争中に陸軍の特攻隊員だったって言うんですよ。その方が、戦争が終わって東京へ帰ってきて、それから普通にお坊さんとしての道を歩んで、結婚もされて、子どもも生まれて、普通に亡くなった。
でもそういう意味でいうならば、水原哲は普通であることが大事だって言ってましたよね。

町山:はい。

片渕:だから彼は彼なりの普通さっていうのをどっかで求めていて、案外普通の会社員とかになるかもしれないですよね。

町山:僕は山守組に入ると思うんですよ。

(会場、爆笑)

片渕:なるほどね(笑)

町山:呉ですからね。

片渕:拳銃をここへ持って(笑)

町山:拳銃を持って。これが俺のゼロ戦じゃいっていう、どうもそういう夢を持ってしまうんですけどね。

片渕:なるほどですね(笑)

町山:それが言いたかっただけなんですけど(笑)

片渕:分かりました(笑)本当にそれ、途中ですずさんが残飯雑炊食べてましたけど、あれが『仁義なき戦い』の最初の場所なので。

町山:そうなんですよ。

片渕:そうなんですよね。

町山:最初の闇市みたいな所のシーンですよね。

片渕:闇市。あれこそがまさに同じ場所だったりしますね。

町山:だからここで『仁義なき戦い』続くんだと。チャララーンって音楽がかかってるわけですけど。

片渕:でもそんなふうに、すずさんたちの戦後の歴史は、あそこで終わったわけじゃなくて、呉の歴史も含めて、ずっとずっと先にいろんな、また山とか谷とか、鉄砲の音がうるさいとか、いろんなことがあって続いてるわけですよね。

町山:カープを応援しに行ったりとか?

片渕:カープを応援しに行ったりとか(笑)

町山:すずさんはまだ存命中ですかね?


片渕:94歳。だから多分、もうカープ応援行けないんじゃないかなと思いますけど。

町山:でもテレビで見てるんじゃないかと思いますけどね。

片渕:そうですね。

町山:2018年の優勝は観れただろうと思いますよ。そんな感じですかね?

司会- ありがとうございます。

町山:まだまだいろいろお聞きしたいことはあるんですけども。

司会- すいません(笑)

片渕:本当に町山さんは、こういう映画のディテールを、すごく現実と結び付けて考えて下さってるってことですよね。

町山:そうですね。妄想の中で生きてるので。すいません。

片渕:ありがとうございます。

(フォトセッション後、最後の挨拶へ)

町山:僕、この映画を見させてもらうのは、一番最初の、もとの『この世界の片隅に』から数えると、もう10回を超えてるんですけど、それでも皆さんよりも多分、下手すると少ないと思いますよ。もっと多い方がいる。それはやっぱり毎回毎回新しい発見があるんで、本当に皆さん多分、隅々まで見てますよね、あそこに映ってる人は誰とか。こんなすごい映画はないなと思いますね。
今回も聞き損ねたことがあって、江波のうちから広島の市内に入るときに歩いてくカットのところで振り向く人は誰なのかとか、山ほどあるんですけど、今後も皆さん見続けていかれると、本当にこの映画をさらに育てる形になると思います。あと次回作、もう動いてますから。大変なものになりそうですよ。

司会- ありがとうございます。片渕監督、お願いします。

片渕:次回作どういうものなのかって、実は町山さんには半分ぐらいお教えしてしまったんですけど、まだ内緒にしといてください(笑)

町山:はい(笑)

片渕:でも町山さんからも、それに関していろんなお言葉をいただいて、それがヒントになって、またこの先に進めるような感じになってるので、それもご期待いただけるとありがたいんですけど、まずは『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』ですね。
本当に町山さんがおっしゃったみたいに、いろんなものが描かれていて、恐らく1度では分からないっていうだけではなくて、さっきの下関の老人みたいに、本当に分からないものとかもありますし。

町山:本当に分からないですよね。

片渕:でもそれは本当に分からないんですけど、いろんなことって、ああいうものなのかな、こういうものなのかなって想像することもできますし、それからあの時代ってこういう時代だったのかな、こんな時代だったのかなって、いろんな映画の外にまで目を広げていただいて見ることができると、例えばさっきの知多さんが入市被爆したっていうお話にしても、入市被爆っていう言葉を聞いたら、どういうことだったんだろうかって、また考えてみていただけると、もっともっといろんなところが見えてくるかもしれないですね。
例えばすずさんが、江波のもとの実家に戻ったら、子どもたち3人いたけど、あのうちの、あれ実は男の子、女の子、女の子の3人なんですよ。でも男の子、女の子、男の子に見えて、なんでかっていうと、一番下の子、髪の毛ないからなんですよね。

町山:髪の毛抜けてしまったんですね、放射能で。

片渕:そうですね。そういうのって何なんだろうなとかって思っていただけると、もっといろんなものが。実は本当の世界もそうなんですよね。本当の世界も、そこにあるもののこと、みんな説明してくれないんですよ。でも説明してくれないんだけど、あれは何なのかなと思ったところから・・・。

町山:だから僕は、前お話ししててすごいと思ったのは、玉音放送を聴いたすずさんが地面に突っ伏して泣いてたときに、カボチャの花を見て立ち直ろうとするのはなぜかという話で、あそこで焼夷弾が畑に突き刺さっていて、焼夷弾の中に入っている焼夷剤、ナパームですね。それを吸って、そのカボチャは枯れたのに、もう一回その枯れた状態から回復してるのを見て、立ち上がろうと思ったというシーンなんですって。ぞくっとしましたよ、お話を聞いたときに!

片渕:本当に、だから世の中にそういうこともあるかもしれないけど、それは自分たちがそうだと思わないと、大抵のものは説明してもらえなくて、分からないんですけど、あれは何なんだろうなと思ったところから、世の中のこの部分は分かったとか、ちょっとなんかいろんなことが理解できたっていうことが増えてくると思うんですね。そういう意味で、それはもともと、こうの史代さんの原作の漫画自体が、そういうような姿勢で描かれていたわけなんですね。

町山:そうですね。

片渕:そもそも漫画読み始めてしばらくは、これが広島の物語だって気付かないわけなんですよ。

町山:そうですね。書いてないですよね。

片渕:書いてないんですね。だんだん、これ広島なんだって気が付いたときには、じゃあ最初に出てきたあの町は何だったんだろうって、読み返さざるを得ないような、そういうような展開になっていったんだと思いますね。

町山:そうですね。リンさんが大門の所で、「ここまでしか行けないわ」って言ってるときに、海軍の衛兵見てるんですよね。

片渕:そうですね。

町山:門から出たら捕まっちゃうんですよね。

片渕:あとはそれから、ちょっと長くなっちゃいますね。

司会- はい。

片渕:お花見のときに、リンさんが顎の下だけおしろい塗ってるんですよ。あれ、黒澤明の『用心棒』なんかに出てくる女郎さんもそうだったんですけど、あれ、呉の場合は、田中小実昌さんが呉に住んでらっしゃって、実際に見たっていうのを書かれてたんですけど、あれ、脱走したときに、明らかに遊郭の人だって分かるように、そういう化粧の仕方をさせて、遊郭の門から出してたって書かれてたんですね。

町山:そうなんですか。リンさん、門から出たのはあのときだけですね。

片渕:そう。出てるときは、だから首の所だけおしろい塗ってっていうことをやってたりとかね。

町山:それは、小実昌さんの本を読んだときにそれを知って、それを入れてる。

片渕:そうなんです。

町山:すごいですね。

司会- 終わらなくなりそうな危険をちょっと感じております(笑)監督、最後にお願いします。

片渕:そういうような、本当にいろんな本当の世界とつながってるような漫画があって、それをここまで読み解きましたっていうか、こういうふな読み方もできますよっていうのが、今の映画だったと思うんですね。でもその中に描かれてるものって、ひょっとしたら町山さんがおっしゃるように、新しい発見がたくさんあるかもしれないんですけど、それは必ず今の皆さんの現実とか、それから皆さんの、ひょっとしたらお父さん、お母さんとか、おじいさん、おばあさんの現実とかともつながってるものなのかもしれないので、もっともっとそういうのを見つけていっていただく、あるいはそれは何だったのかって求めていっていただけると、ありがたいなと思います。
そういう意味で、きょう本当に町山さんに素晴らしい質問、兼、実は質問が全部、解説を兼ねていたってことなんですけど、いただきました。ありがとうございました。

町山:どうもありがとうございました。

司会- ありがとうございました。もう一度お二人に大きな拍手をお願いいたします。町山智浩さん、そして片渕須直監督でした。

(楽屋にて)

町山:もう一つ伺いたかったんですけど、第一エンディングで、北條家が高台からみんなで呉港を眺めてると思うんですけどあれは何を見てるんでしょうか?

片渕:あれは元・戦時標準船ですね。もとは戦時中に物資の輸送などの為に使われてたものなんですけど、戦争が終わってタンカーとして流用されたんです。呉の民間造船のはじまりなんですよ。

町山:そうなんですね。戦争のために作られたものが、その後の人々の生活を支えるためのものになったわけですね。

片渕:そうなんです。それを家族で見つめているわけですね。

町山:このお話も皆さんに聴いていただきたかった!ぜひ書き起こしに加えてください。

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